YUTAKA FUJIMORI

  • 絵画

作品

CV

藤森雄高

1978 福岡生まれ
1999 桑沢デザイン研究所ファッション科卒業

グループ展
2017 「Independent Tokyo」東京

2018 「Art Fusion 2018 Exhibition」 Jadite Gallerys ニューヨーク アメリカ合衆国 

2019「A splendid summer showcase 」AGORA galleries ニューヨーク アメリカ合衆国

2020 「Engaging the Full Spectrum 」AGORA galleries ニューヨーク アメリカ合衆国

2021 「The Ethereal Dance: A Winter's Dream」 AGORA galleries ニューヨーク アメリカ合衆国 


アートフェア
2018 「ARTEXPO NewYork」Pier 36 ニューヨーク アメリカ合衆国

2019 「ARTEXPO NewYork」 Pier 90 ニューヨーク アメリカ合衆国

2021 「Affordable Art Fair」 Metropolitan Pavilion ニューヨーク アメリカ合衆国

メディア
2019 TO+NY magazine掲載

ステートメント・PR

不良/ストリートカルチャーと、おたく/ネットカルチャーの最小公倍数から予見する未来。

まずそれぞれのカルチャーの一部を並べてみたい。
●不良/ストリートカルチャー
HIPHOP、ストリートアート、喧嘩自慢
●おたく/ネットカルチャー
二次創作、アダルトゲーム/アダルトマンガ、宗教/凶悪事件/古代文明などへの傾倒

上記それぞれのカルチャーから最小公倍数を見つけ、辿り着く未来図こそが私のステートメントだ。

『暴力のパッケージ化』
 まず喧嘩自慢とアダルトゲーム/マンガについて。
動画配信などで良く見られる喧嘩自慢。集められた不良達も無闇に暴れ散らす者からヘラヘラしてる者まで様々だ。緊張感のあるシーンから笑えるシーンまで、またイレギュラーも多々あり、そこにあるのは視聴者を離さないエンターテイメントとしての暴力と商品としての不良達であり、暴力のパッケージだ。
 ではアダルトゲーム/マンガについて。そこにはありとあらゆる性暴力が溢れている。その世界の中では人間の肉体が肉雑巾のように過度に歪められ、肉体だけではなく人間性も奪われ尽くされている。これもやはり一部の層に対しては有効なエンターテイメント(カタルシス)としての暴力をパッケージ化した物だ。
 このように不良/ストリートカルチャーと、おたく/ネットカルチャー、その中でも喧嘩自慢とアダルトゲーム・アダルトマンガと言う一見無関係のようだったコンテンツは『暴力のパッケージ化』と言う最小公倍数で結ばれた。

『英雄の消費』
 HIPHOPと二次創作について。
ここに於けるHIPHOPはサンプリングの手法に限定する。
 サンプリングと二次創作についての関係性は単純だ。つまり再利用再構築だ。サンプリングと二次創作についてはある程度語り尽くされているし、ボードリヤール的に言うハイパーリアルな世界だ。それをあえて2000年代以降の概念で言い換えると、P2Pシステム的となるのかと思う。
 P2Pと言うのはネットワーク内にある不特定多数の端末同士がサーバを通さずにデータをやりとり出来る通信方法である。簡単に言うと中央無しで誰もが誰とでもいつでも通信出来る状態だ。
 ハイパーリアルとの共通点はやはり中央の不在だ。それは二次創作とサンプリングの最小公倍数でもある。誰もが誰もをサンプリング・二次創作可能な世界ではオリジナルから時間的距離が遠ざかる程オリジナルは忘れ去られていく。名曲名作作家と言う英雄へのリスペクトは無く棚から資料を取り出すかの如く英雄的なものを消費している。やがて英雄は英雄ではなく無限に並ぶ本棚の一冊程度の情報へと格下げされる。
 二次創作の中には前章で語った『暴力のパッケージ化』も見られる。更に次章で語る『宗教/魔法/事件』などが二次創作の中でも悪用される。二次創作とは漫画やアニメの有名キャラクター、時には歴史上の英雄等が二次使用されるメディアだ。二次創作に格下げされた英雄達は、魔法や儀式、実際の事件を再利用された凄惨な暴力の中で再構築される。中央のない暴力は無責任なのだ。このような形でも英雄は消費される。

『記号への一体化』
ストリートアートと、宗教/凶悪事件/古代文明などへのアクセスについて。
 都市部の電信柱や自販機、壁などには解読不能ながら一定の方向性を持ったマーカーやスプレーの落書きが敷き詰められている。この落書きは自己の発露であると同時に街と一体化したいという自己の身売りでもある。発露と同時に身売りと言う矛盾。それは目指すべく『中央』がない故に起こる迷子のもがきだ。
 結果的に都市の象徴の一部になってはいるのだが、自己を無責任な記号と一体化させた上で街の一部になったに過ぎない。
 では宗教、凶悪事件、古代文明などへのアクセスについて。
ネット上で勢いを増すオカルティスト、神秘主義者、陰謀論者、おたく達は現実世界の力、例えば腕力や権力などとは違う力に救いを求める。そして中世の未分化な秘密宗教、SF的な古代文明、未解決の殺人事件等の世界で空想を遊ばせて、未解読の古文書、特殊文字、不文明な記号、魔法円、SNSで流れてくる悲惨な現場写真などにネガティブなポップを見つける。これもやはり正体不明の力に対する一体化を記号を通して行なっている。

 以上のように路上やネットで生まれ人と一体化した記号や文字のようなもの、或いはカタルシスのためにパッケージ化された暴力さえも、P2Pシステム内の無限のキャッチボールのように反復され、すぐに英雄的オリジナルの意味や輝きも消費され、作者不明のフリー素材となり下がる。難しい物語が必要無く、わかりやすくスタンプ化された上記のような概念は一般の人々の無意識にゆっくり侵入し、やがて新しい時代に当たり前に存在する共通のカルチャーとなるだろう。
私の作品は上記のような避け難く来たるべく未来を透視した未来のカタログである。

実行委員コメント

instagramを拝見しましたが、アラビア文字の様なグラフィティ作品?が目を惹きました。コンセプトはYUTAKAさんのおっしゃる『記号への一体化』に当てはまるのでしょうか?なんかこちらの作品のほうが言いたいことがシンプルで噛み砕きやすく視覚的にも面白いなと思いました。応募に使用された作品は、”作者不明のフリー素材” ”わかりやすくスタンプ化された物語” とは思えぬほど、情報で埋め尽くされている様な印象があり、読解するのに時間を要しました。

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