南村杞憂

  • ライト(光)アート
  • 立体

作品

CV

1995年生まれ。徳島県出身、関西在住。
関西学院大学文学部卒業、神戸大学大学院国際文化学研究科博士課程前期課程修了。
独学でデジタルファブリケーションの手法を駆使し、インターネットカルチャーやSNS等をテーマに日々けったいなものを制作しています。
制作以外にもラジオMCなども務め、神戸のコミュニティFM「FM MOOV」にて毎週水曜18:35〜18:45放送中のラジオ番組「世界の音楽」でレギュラーパーソナリティーとして出演中(2023年現在)。
講談社主催オーディション ミスiD2021 にて「Edge!賞」受賞。
バラエティ番組『DEEPな店の常連さんに密着 イキスギさんについてった』(TBSテレビ)出演(2023年2月28日)。

〈個展歴〉
2018 「シールドコイル観察日誌」ギニョール(大阪)
2019 「ERROR302」前衛喫茶マチモ(東京)
2020 「インターネット葬」アトリエ三月(大阪)
2021 「第42回全国オンライン乱痴気外来爆破ツアー」cafe Anamune(大阪)
2022「自発的対称性びりびり」前衛喫茶マチモ(東京)
2023 「インターネット葬2.0」アトリエ三月(大阪)
2023 「Nugde Nudge」iiie(大阪)
2023年秋〜2024年年始にかけて東名阪で個展開催予定

ステートメント・PR

南村杞憂(ナムラ キユウ)と申します。インターネットミームやネット上で瞬間的に流行るトレンドなど主にインターネットやSNSを巡る事柄を制作テーマにしています。

私はWindows95がリリースされたのと同じ1995年生まれで、幼い頃からInternet Explorerを使い、ダイヤルアップ接続の音に親しみ、ポストペットが毎日の遊び相手という子供でした。「95年生まれインターネット育ち、ポストペットはだいたい友達」です。
小学生になってBBSやブログカルチャーが流行るにつれて「インターネットにアップしたものは宇宙のどこかに半永久的に残り続ける」「だからネットは怖い」という大人からの牽制をよく耳にしていました。
ところが、近年の各種ネットサービス終了に際して、もう見られなくなったネット上のサイトやサービスがどれほどあったでしょうか。
NAVERまとめ、Adobe Flash、Yahoo!ブログ、Internet Explorerのサポート終了、そして直近ではTwitterもサービス名とロゴを変更されることとなり、慣れ親しんだその名前と青い鳥に突如別れを告げることになりそうです。
なんて刹那的なインターネット。
1000年前の枕草子は読めても、たった15年前のブログはほんの一瞬世にはばかってそれっきり、もうおそらく永久に読めないのです。
もはやインフラと化しているTwitterもInstagramもYouTubeも、例えばですが、経営者の気まぐれでうっかりいつでも何かの拍子に永久に失われ得る、なんてことを特にユーザーは基本的に想定していません。最近この意識はちょっと揺らいだかもしれないけど。
それゆえ、アナログに文書化されたり意識してなんらかの形で保存されたりしないデジタル・ヴァナキュラー(民俗学的な表現で、デジタル空間で自然発生し、市井の人々の生活に深く関連した、権威を持たない土着文化の意)なカルチャーは来るべきインターネット及びそのサービスの消滅と共にこの世から失われてしまう可能性が高いと言えるでしょう。

ところで、Twitter(これからは𝕏と呼ぶべきかもしれないですが以下ではわかりやすくTwitterならびにそれに準ずる呼称で書きます)では「バズ」を想定してウケる作品作りをするカルチャーがあります。トレンド入りしている時事トピックに敏感に反応し話題にちなんだ作品を素早く仕上げてくる人、ツッコミどころのあるトンチキな発明品を作る人、任意の事柄について大喜利のようになんらかの作品を作る人。なんせタイムラインをスワイプして一瞥する瞬間にすげえとか面白いとか思わせて「いいね」や「リツイート(投稿の拡散)」をしたくなるようなものを作り、それをSNS上で発表している“おもしろいTwitterの人”として“おもしろツイート”をして活動しているような層が確かに存在します。「インターネット芸人」なんて表現もありますが、それのものづくり版みたいなイメージです。私もおそらくどちらかといえばこの流れの中で作品作りをしている作り手の一人だと自認しています。
今やアートだけでなく漫画や映像や音楽のクリエイターなど、多くのジャンルの作り手がSNSを自分の作品発表の場として運用していますが、上述した作り手はより間隙の存在だと思っていて、
・基本的にSNS(殊にTwitter)上を第一線の発表の場として活動している
・現物を販売しているかしていないか(売り物かどうか、それで商売をする気概があるか)を問わない
・商売視点を差し置いてもまず「ウケる」ことを目的とし、「バズる」ことを想定している
など、整理しきれていない点も否めませんが、ギャラリーなどでの発表を前提としている作家との明確な違いがここにあるように思います。

今のところ私はこれを「ネット(特にSNS)土着のフォークアートみたいなもん」だと解釈しています。“みたいなもん”というのはなぜかというと、確かにSNS上にはこの潮流があるにも関わらず、まだアートの世界から発見されていないからか、名付けがされていない創作物ないし創作行為だからです。私は思うのです、そろそろ名前つけようや、と。ちなみにもうどこかで命名済みなら教えてください。

一方で、こういった風潮の上でなされる作品制作に対して「アート制作はバズ目当てにされるべきものではない」「邪な動機だ」と反感を持つ人もいるかと存じます。
ただ、このような「インターネット時代のキッチュな作品制作」をする作り手人口が少なからず存在することは確かで、昨今のSNSを巡る代表的な作品作り=アートとして捉えざるを得ない時代が遅からず到来する予感がしています。というかそのうち誰かがこれを見つけてなんしか提唱すると思っていたんですが誰も言わないなら私がやりますね。ちなみにもうどこかで提唱済みなら恥ずかしいので絶対に教えてください。

というわけで私はこういった考えを巡らせた結果、インターネットミームをネオン風ライトにしたり、SNS上でのヴァナキュラーな営みに参加したりして、親の顔より見たインターネットをテーマに、いつか永久に失われ得るかもしれないネットのかけらをリアル空間に持ち出しては作品にしています。

Translate »