作品



1990年 大阪南河内郡生まれ、東京都在住
立教大学 現代心理学部 映像身体学科 卒業
個展
2021 八千代展 / 鮨處八千代四谷総本店 / 東京
2020 ニュー・ノーマル / JOINT HARAJUKU / 東京
グループ展
2021 100人10 / Shinwa Auction
2021 GRADATION / 渋谷PARCO ComMunE
2021 artworks fukuoka / Whask / 福岡
2021 Art Technologies ポップアップギャラリー / 渋谷スクランブルスクエア
2021 ART SELECT SHOP / elephant STUDIO / 東京
2020 100人10 / 日本橋ログズビル / 東京
2019 出会ってもう展 / 陽なた家 / 福岡
【作品ステイトメント】
SNSが普及したことで僕らは何を手に入れて、何を失ってしまったのでしょうか。
膨大なデータの蓄積によって形成されたデジタル社会では「わかりやすいこと」が求められ、「YES」と「NO」が言いやすくなりました。
140文字程度で簡潔に文章をまとめる能力が身について、インスタ映えする写真を撮るスキルも多くの人が身につけて誰もがわかりやすく「白」と「黒」との境界線をはっきりと線引きすることで、「自分はこういう人間なんだ!」とはっきりと言えるようになったように思います。
読まれやすい文章・バスる文章・盛れるアイコン・認知されやすいアイコン
そうして社会のデジタル化が進むにつれて名前も顔も知らない人たちを自分の思う通りの枠組みに当てはめて、詳しく知らないこともタイムラインで流れてきた情報だけをもとに知った気になって、自分の好き嫌いに対して「YES」と「NO」を無意識のうちに積み重ねてきたのだと思います。
「白人だから」「黒人だから」「黄色人種だから」
「日本人だから」「アメリカ人だから」「韓国人だから」
「男だから」「女だから」「LGBTだから」
カテゴライズされてしまった情報だけで全部を理解した気になって、その人の個性をどこかに置き忘れ、知らぬ間に「小さな偏見」を心のどこかに住まわせているのではないでしょうか。
本来、人間はものすごく曖昧で奥行きのある生き物だと思います。
「YESとNO」「白と黒」だけでは片付けられないグラデーションの中にこそ個性は存在していて、グラデーションの集合体こそ人間なのではないでしょうか。
この作品はデジタル社会において、わかりやすくカテゴライズされてしまう国籍や肌の色や性別、そして外見的な要素で区切られた境界線を、アクリルを何層にも重ねて削って作品を作るという過程を通して、グラデーションに富んだ曖昧で奥行きのある一個人としての人間の輪郭を形取っています。
【プロフィール】
「曖昧なものの輪郭」をテーマにデジタル社会の「可視化」によって分断され、カテゴライズされてしまった事柄を再構築している。
グラフィックデザイナーとしての経験をベースに、アニメーションやマンガ、ストリートカルチャーの表現に影響を受け作品を制作している。
近年では寿司屋やアパレルコラボなど様々な分野で精力的に作品提供を行なっている。
カラフルに塗り分けられた髪と顔のバリエーションがシンプルながら強いインパクトで迫ってくるMANABU KISHIMOTOさんの作品。コメントからは、「デジタル社会において、わかりやすくカテゴライズされてしまう国籍や肌の色や性別、外見的な要素で区切られた境界線」を曖昧にするためにアナログな手法を使って作品を制作しているとありまが、まずこのヘアスタイルで「女性」をイメージしてしまうのですが、もっと曖昧でアブストラクトに表現してもいいのでは?と思いました。