作品



最終学歴:
2017年大阪芸術大学芸術学部デザイン学科ビジュアルアーツコース卒業
出展歴:
2019年
・independent Tokyo 2019
・ホテル客室内壁画制作(Yolo Hotel Museum)
2020年
・グループ展 ROOMs2020(GALLERY ART POINT)
・Monster Exhibition(渋谷ヒカリエ 8/COURT [入賞])
・壁画制作(ボードゲームカフェ でんでん虫)
2021年
・第一回ARTIST NEW GATE 最終審査展(Gallery Seek)
・ACTアート大賞展(アートコンプレックスセンター)
・いい芽ふくら芽 in Tokyo 2021(松坂屋上野店)
・いい芽ふくら芽リターンズ(松坂屋上野店)
・SICF22(スパイラルギャラリー)
2022年
・KOWAII vol.Ⅻ(新井画廊)
【作品コンセプト】
言葉は曖昧だとよく言いますが、受け取り手次第で解釈がガラッと変化することがしばしばある。
これは誰もが経験したことがあるのではないでしょうか。特に日本語は、語彙の多さ、同音異義語や情緒を感じるほどのあいまいな言い回しが特徴なので、こういった解釈のズレが他言語より多いのではと考えます。
実体験を交えると、幼少期、算数の問題で「〇人がサッカーをして遊んでいます。そこから○人か抜けてさらに○人増えて・・・さて今何人でしょうか?」といった感じの問題で、「絵とか図で描いたら分かり安いよ」と先生が言うので当時バカで純粋だった私は、絵で説明しようと試行錯誤していたところ、「何描いてるの?」と聞かれ「遊んでいます!」と自信満々に答えると、落書きしていると勘違いされ机ごと教室から追い出された経験があります。今思えば私の言葉足らずが招いた結果だと思います。そしておそらく先生が言っていた絵や図での説明とはこうゆうことではなかったのでしょう。
それからというもの、私は文字や言葉に対してなんとも言えない違和感を持つようになりました。
そして近年、SNSをはじめとしたデジタルテクノロジーの発展により解釈のズレがより顕著にあらわれていると感じます。
おそらく実際のコミュニケーションとは違い、話の流れ、発音の抑揚から察する勘のようなところが抜けてしまうのが解釈のズレに拍車をかけている原因の一つだと思います。
それは、言葉によるコミュニケーションが文字(記号)によるコミュニケーションにシフトしてきているとも言えるでしょう。もしかしたら言葉だけではなく、そう遠くない未来、NFT等のデジタルアートが覇権を握ったとき、アート作品にも影響が現れるかもしれません。筆致や構図から読み取る作品の抑揚や、そこから察する勘が抜けてしまうのではと。
以上の経緯からそうした言葉の解釈のズレを当時の私のように言葉をバカで純粋に解釈し、作品を「デジタルで描く」(ここで言うデジタルで描くというのは実際のモノとしてのデジタル(スマートホン、マウス、キーボード、ノートPC等)を筆の代わりとして使う)ことで言葉の抽象的で曖昧なさまを作品として表現しようと考え、作品を「デジタルで描きました。」
まだまだ発展途上ではありますが。
金の下地にウネウネと伸びる一筆書きのような筆跡。「デジタルで描きました」という解説を見て惑わされるなかれ。羽田さんいうところの「言葉の解釈のズレ」を逆手にとってデジタルなモノ(iPhoneやパソコンのキーボード、マウス)で、描いた作品なんだとわかる。なるほど、下地になる模様のような四角の列はキーボードですか。白髪一雄よろしく「美術の身体性」に挑戦した作品は奇異を衒っているが作品の強度は高いと思いました。