花岡 / 山根シボル 賞
内田ユッキ
寺田順三
作品



1995年生まれ。
2018年京都造形芸術大学 情報デザイン学科 イラストレーションコース卒業。
2018年
個展『実験漫画 前夜』(東京 Ondo stay&exhibition)
2019年
個展『実験漫画(コミックは
ミュージックのように vol.1)』(京都 kunst arzt)
個展『実験漫画(コミックは
ミュージックのように vol.2)』(東京 亀戸アートセンター)
2020年
公募展「漫喜利」AIG賞 優秀賞
個展『実験漫画(コミックは
ミュージックのように vol.3)』(旭川 野村設計倉庫)
2021年
個展『実験漫画(コミックは
ミュージックのように vol.3.5)』(東京 108)
個展『実験漫画(コミックは
ミュージックのように vol.4)』(京都 cocoto)
「BE AT STUDIO HARAJUKU」(東京 ラフォーレ原宿)
個展『実験漫画(コミックはミュージックのように vol.5)』(大阪 gallery shop marco)
グループ展『IAG SELECTION』
池袋回遊派美術展(東京 東京芸術劇場 )
2022年
グループ展「ことばのアート展-Forest of Words-」(大阪 阪神梅田本店)
グループ展 『-ALLEGORY OF THEM-』(大阪 gallery shop marco)
個展『実験漫画(コミックはミュージックのようにvol.6)』(東京 亀戸アートセンター)
公募展『Hidden talent art awards 』(ロンドン)
アリストテレスは、エウダイモニア(幸福)は手段そのものが目的である行為だと述べた。つまり、どこかへ行くために歩くのではなく、歩くために歩くこと、収穫するために耕すのではなく、耕すために耕すこと。
そしてそれを最高善と呼んだ。
日常の中で最高善はあまりない。
学生は大学入試のための勉強をして大学に入り、大学では就活のためにポートフォリオを作る。生活者はご飯を食べてそれで得たエネルギーで次のご飯を作る。洗濯した服を着て洗濯をする。私たちは何かのための何かを延々と続ける、生活のための生活者である。
私はかつて漫画を描いていたが、それも最高善ではなかった。
編集部とやりとりをして制作していたが、だんだんとうまくいかなくなった。重要なことはストーリーや伏線やいかに読み手に伝わるかであるらしく、コマは常に意味やストーリーの単なる構成物に過ぎないらしかった。私は単にコマの中の絵を、いかに描くか、リズム感をもって描くか、ということに心を砕いており、それだけが目的だった。
絵が単に何か伝えるための、単なる手段になるのは嫌だった。絵そのものが目的になればいいと思った。
現在、私は漫画の1コマを1カンバスに拡大して描いている。原稿用紙の枠もセリフもトーンの網目も手で描いている。それはその1コマを、何かのための何か、つまりストーリーの構成物という位置付けから逸脱させ、それそのものとして保護するためである。私はこれを最高善だと思う。そして、ある瞬間のためだけに描かれた漫画のコマは、絵画に似ているように思う。
すでに様々なスペースで展示をされていて、私が選ぶまでもないかもしれないのですが、それでも好きだとお伝えしたくなりました。 一度見たら忘れられないシンプルで憂いを含んだ表情の人物に加え、漫画原稿用紙の薄いブルーの線を作品自体に取り込むアイデアや絵の中のコマ割りとは別にパネルでも作品の分割をはかるなど、展示ごとに新しい実験をされている所が最高にかっこいいです。存在するだけでわくわくさせてくださる作家さんだと思っています。
東さんの絵を最初に見たのは、大学の卒業制作の時です。たしか、最初のプレゼンは印刷物の冊子でした。その時はピンとこなかったのですが、実際に制作に入った作品を見た時はビックリしました。丁寧に描かれた、文字やアミ点、インクの質感。そのサイズ感にもビックリです。今回も画面からはなかなか伝わりにくいと思うので、ぜひ原画を見てもらいたいと思いました。久しぶりに東さんにも会いたいし。
メタセコイア展示おめでとうございます。実際にある漫画の1コマを1カンバスに拡大して描くことで、物語の一部であったページに新しい命を与えるというコンセプトは秀逸で、大きくの伸ばされたサイズ感、手書きで再構成されるプロセス含めて、現代アートのしっかりしたコンテクストを感じることができます。株式会社人間(花岡・山根シボル賞)をはじめ、内田ユッキさん、寺田順三さんレコメンドと、たくさんの審査員から評価されるのも当然だと思います。
大人も子供も漫画が好き。コマ割りはもはや日本人の共通言語かもしれません。伏し目がちなキャラクターの顔を見ているだけで、勝手に時間が流れ、ストーリーを考える余地が残されている感じが好きでした。