ミホ・サトー

  • 絵画
  • 審査員賞川口智士 賞
  • レコメンド井浦歳和

作品

CV

1991年 福島県の霧深い山の麓に生まれる。
音に色を感じる。
2013年 国立新美術館でモンドリアンのコンポジションに衝撃を受ける。
2015年 歌うことに夢中になる。
2017年 音楽の色を描き始める。
2018年 表現することは命を可視化することであり、抽象表現は感覚や事象の純度を高め抽出したものであると気づく。
2019年 福島市Oomachi Galleryにて初の個展。
日常と命をテーマに作家活動を開始。
コラボレーションやジンの制作等を行う。
壁に96個の穴を開けても応援してくれる街の温かさに後押しされる。
2020年1月 国見町にて見本市ブース展示。
2020年2月 福島市での個展やグループ展、オーダー制作等。
2020年3月 「鎮魂・そして未来」をコンセプトに震災への思いが込められた音楽フェスASYLUM in Fukushimaでライブペイントの予定も、新型コロナの影響により自粛。
2021年2月13日 福島県沖地震。震度6強。
制作中に被災。命あっての表現だと思い知る。
ただそこにある根源としての命を、日常を通して描いていきたいと改めて決意。
2021年12月30日 福島県郡山市にて音楽イベントでのライブペイント。
朝まで9時間ナイフ1本、音や感覚をF50号キャンバスに描き続けた。
アートの底力、人や文化と生きる温度を現場にて実感。
2022年3月16日 二度目の福島県沖地震。
もたらされる容赦のなさを、制作へ向かう命のエネルギーに変換したいと考える。
2022年4月 描ける日常への感謝に溢れる。

ステートメント・PR

日常や命をテーマに、生活の中で得た感覚、心に響いた存在を描いています。
絵を学んだことはありません。
描く時は意識と無意識を使います。
個人の日常を抽出し表現したものは、命という共通項によって自由に共鳴すると考えます。
その抽出の純度を高めるために、日々の表現と向き合っています。
私にとって描くことは日常です。
身近な絵を観ることや飾ることも、誰かの日常になるよう願っています。
私ひとりでは作れないものを、メタセコイアの方々と生み出せると信じ応募します。
よろしくお願い致します。

この絵は「花ではないもの」です。
花は枯れてこそ花。
永遠に咲き続けているとすれば、それはもう花ではない別のものです。
人も同じ、生きないと死ねない。
終わりがくるとわかっているからこそ命は咲きます。
もし永遠に生きられるなら、あらゆる価値がわからなくなるはず。
持ち過ぎれば持っていないのと同じ。
この絵の"花のようなもの"は枯れないため、花ではありません。
非現実的な色あい、途切れた茎、滲む輪郭。
枯れそうにないものを描くことで、終わりのある美しさや枯れる尊さを描かずに表現しました。
目に映らないものを映らないまま描くためのアプローチです。
花のようなモチーフを仕上げた後、一度背景を黒くしました。
春霞の前の晩のような青みの黒に。
そこへ少しずつ白を重ねていきました。
完成時には見えない工程ですが、歳を重ねることや時間の経過を表すため、夜明けの手順を踏みました。
枯れない花のようなモチーフのモデルは手向けの花です。
生ききった命への敬いを込めています。

審査員コメント(川口智士賞)

新美術館で見たダミアン・ハーストの「桜」を思い出しました。「過激なはずの人がこんな綺麗なん描いてどうすんだよ」っておもって見はじめたけど、連作を眺めてるうちに、彼のモノの見方そのものに狂気みたいなものがすでに入ってるのがわかりました。桜を描いてるようにみせかけて、実は自分の心の中の像を描いてるんだなと。ミホ・サトーさんもおなじように自分だけの眼で、この「花」を見て描いてるんだなとおもいます。花のイメージから無常感・生死観が湧き出してきて、ちょっと怖くなりました。原画のタッチを見てみたいです。                            ----以下、すべてのコメント共通----  5つの基準で選びました。・狂気を感じるか ・ユーモアを感じるか ・既視感が “ない” か ・現物 / 制作過程をみたいと思ったか ・作者が若いか

審査員コメント(井浦歳和レコメンド)

植物を決して美しいだけでなく、精神性も込めて描くペインテングに心を惹かれました。この花、植物の展開に今後期待したいと思いました。

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