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作品



1971年3月 関西学院大学理学部卒業
1971年4月 小林製薬株式会社入社
1973年9月 同上 退社
1973年9月 日本アイ・ビー・エム株式会社入社
1976年5月 沖縄事業所へ転勤 琉球銀行担当SEとして従事
1981年9月 大阪事業所転勤 アドバイザリーSE
1986年7月 高知事業所転勤 システムズ・エンジニア課長 昇進
1990年1月 四国銀行第3次オンラインシステム サービスイン
1991年2月 大阪事業所転勤 関西第二事業部・プログラム担当
宮田ゼミ基礎コース運用開始(19年間・卒業生:200名)
某地方銀行安全稼働プロジェクトリーダー
以降4000日ノーダウン・ノーテイクオーバー 社長賞
1993年7月 IBM Certified Professional職位 Solution Marketing Expert第一号
2002年6月 日本アイ・ビー・エム株式会社 早期定年退職
7月 日本全国の銀行担当として再雇用
2002年10月 キヤノンEOS学園にて写真教室基礎・上級コース 受講
2009年2月 日本アイ・ビー・エム株式会社退社
2012年5月 キヤノンギャラリーにて個展「琉球の風」発表
2015年5月 キヤノンギャラリーにて個展「能登の風」発表
2021年1月 JUIDA無人航空機操縦技術証明書 取得
2021年5月 JUIDA無人航空機安全運航管理者証明書 取得
現在に至る
現在、日本の産業の底辺は外国労働者によって維持されている。 その一つが養殖産業である。 今回は偶然出会ってお世話になった牡蛎養殖業のオーナーから「働くベトナム女性の仕事ぶり」の撮影を依頼され4年にわたって記録した。 オーナーの意図は彼女たちのモチベーションを図り、母国の家族へ自分たちの明るい職場と美しい海の写真を届けることにより、家族の安心を届けることである。 小生は牡蛎の養殖の工程が未知であったので、撮影を通して学習することができ、彼女たちとも友達になれた。 そして彼女たちへ記録をDVDとしてプレゼント。 写真を通していろんな方の役に立てば価値あるものと考える。 身障者施設の写真展示ボランテイアは15年継続している。 地元の夏・秋まつりの撮影をして来られた地元の人に写真を「想い出」の記録になるようプレゼント。 これも10年余りを数える。 また、勤務地が靱本町であり、靭公園は自分の庭のような存在、地元に何某かの貢献ができれば幸いである。 作品画像は代表的な3点、展示は45点を希望。
「写狂老人」というアラーキーばりのお名前で参加の写真家さん。しっかり企業人としてお仕事を続けながら、写真を撮り続けて来られた方とお見受けします。応募作品もサイトに掲載された作品も拝見しましたが、なんでもスマホで撮ってどこでもアップできる昨今に、大変オーソドックスでスタンダードな手法で被写体を向き合い、ご自身で撮られた写真を丁寧に発表されておられるひたむきさにとても好感を持ちました。お勤め先が靱公園とのこと。チャンスがあればぜひ会場の一つでもあるチグニッタにも足をお運びください。